会社での評価が落ちたことに鬱憤が溜まり、家族に八つ当たりするようになったタイミングでやってきた夫の海外赴任。
環境が変わって、また家族仲良く暮らせると思ったら、夫はもっとひどい態度となっていました…。
今回は、まだ夫が不倫していることを知らないけれど、離婚を切り出したときのことをお話しします。
不安定な子どもたちを見捨てる夫
夫の会社から妻子の帯同の許可が出て、私と子どもたちも中国に引っ越しましたが、土地勘もなく、中国語も話せない私たちにとって、厳しいスタートになりました。
それは、夫がまったく助けてくれないどころか、突き放すようなことを言ったからです。(このお話は前回の体験談をご覧ください)
それだけでも、絶望感を感じていた私ですが、ツライことは次から次へとやってきます。

当時、幼稚園年長だった長女は、引っ込み思案な性格で、すぐには馴染めませんでした。
通い始めた幼稚園は日本人向けでしたが、モンテッソーリ教育で、以前とはカリキュラムがまったく違ったからです。
子どもの「やりたい気持ち」を尊重してくれる素敵な教えではあるけれど、自由度が高くて「今、何をする時間なのか」がわからないことが多かったようです。
というのは、後々、長女が説明できるようになってからわかったことで、当時は長女も何が嫌なのか、不安なのかをうまく説明できなくて、母子共に悩みながら登園していました。
家を出て幼稚園までは、牛歩だったり、唇をギュッと噛み締めたり…。
でも、泣いたら私を困らせると思っていたようで、泣かずにがんばろうとするんです。
そんな姿に、

もう、休ませてもいいんじゃないか…
って思ったり、

でも、このまま家から出れなくなっちゃったらどうしよう…
と思ったりして、悩む日々。
「夫婦で相談しながら乗り越えたい」そう思っていましたが、夫は毎晩、飲みに行っていて24時を回る帰宅です。

仕事だから、しょうがないよね…。まだ、配属されたばかりだから、こんなものなのかな…。
と、自分を納得させていましたが、娘が指を噛んで爪の部分が内出血していることと、寝ながら「幼稚園、いやーーー!!」と夜泣きし始めたことで、どうにかしなければと思い、夫に言いました。

ずっと話してたけど、長女がこんな感じだし、今日は早く帰ってきて、家族で団欒できないかな?
すると、夫は、

ムリ。今日も飲み会だから。
と、間髪入れずに言うので、やりきれなさに少し会社を責めてしまいました。

家族が海外への帯同で来てすぐなのに、「早く帰ってあげて」とかの配慮ってないの?
こんなに毎日飲み会だなんて、ひどくない?
「そうだよな。会社に掛け合ってみるよ」そんな言葉を期待して言いましたが、返ってきたのはまさかの…

あぁ〜、会社の人たちからは言われてるよ?
「こんなに飲み歩いてて、来たばかりの家族大丈夫なの?」だって(笑)
でも、そんなの関係ないじゃん。だって俺、寿司、食いに行きたいんだもん。
それに今日は俺が企画した飲み会だし、寿司だから、ムリ(笑)
だったのです。
周りは気にかけてくれているのに、こんなに不安なことを何度も相談しているのに、自ら飲み会を企画して家族を顧みない夫…。
しかも、「まだ中国語がちゃんと話せないし、検定に受からないとだから」と、土日は勉強のために朝から晩まで外出しているのです。

長女がこんな状態だって言ってるじゃない!
周りが配慮してくれてるなら、今日はお願いだから帰ってきて!
子どもたちの顔見て、声をかけてあげて!安心させてあげて!
さすがにこのときは我慢ができませんでした。
声を荒げることは滅多にしない私が泣きながら強く言ったからか、不機嫌な様子ながらも「わかったよ」と言って会社に行った夫は、定時上がりで帰ってきたのです。
(定時で上がれるんだ…)と思いつつも、夫の「寿司食いたい」を叶えるために、日本食レストランへ家族で行ったのですが…。
自分の食事だけ早々に済ませ、その後は「たばこ吸ってくる」と外に出ていき、私たちが食べ終わるまで、帰ってこなかったのです。
「何してたの?」と聞いたら、飲み会している人たちに電話しておしゃべりを楽しんでいたとのこと。

なんのために、早く帰ってきたんだろ…。
と、がっかりしつつも、夫に期待する気持ちがなくなりつつあるのを感じました。
夫を見限った朝
もう、夫に「早く帰ってきて」ということもなくなり、一人で長女の登園しぶりと向き合う毎日。
家族を顧みない言動の夫に、無理してがんばって泣かずに登園しようとする長女に、いろんな想いがぐるぐる回って、子どもたちが寝てから布団をかぶって、声を殺して泣く日々でした。
ただ、次女は、幼稚園のプレクラスを笑顔で楽しんでいたことが救いでした。
そんなある日、突然、目の前が明るくなりました。


ママ、行ってきます!
長女が、にっこり笑って幼稚園に入っていったのです。
あとから気づいたのですが、幼稚園内で気軽におしゃべりできるお友達ができて、不安が薄れたのが理由だったようです。
驚きと嬉しさとホッとした気持ちで呆然としていたら、知らないお母さんに声をかけられました。

あの…よかったですね!
実は、ずっと気になってたんです。
クラスは違うんですが、うちの子も最初なじめなくて、同じような登園の仕方をしてたんです。
こればっかりは、時間が解決することが多いから、何も言えなくて…。
でも、陰ながら応援してました。今日は笑顔で登園できて本当によかったですね!
この言葉を聞いて、ぶわーっと涙が溢れてきました。
知ってる人がいない、言葉も通じない土地で、子どもだけじゃなく私自身も不安でいっぱいだけど、夫に相談しても「俺、知らない」と突っぱねられ、不安を誰にも言えなかった日々。
でも、「こうやって見ててくれた人がいたんだ…」という感謝の気持ちと、「なぜ、それが夫じゃないんだろう…」という失望の気持ちでした。
離婚を切り出したある日の夜

夫婦ってなんだろう…。
長女の一件から、そう考えるようになりました。
人生いろいろあるけれど、一生添い遂げようと結婚した相手だから、うれしいことは一緒に喜びたいし、ツライときは寄り添いたい。そして、家族の悩みは、一緒に考えて前に進んでいきたいというのが私の気持ちです。
思いやる気持ちをお互いに持ち合えることが大切だと思っていました。
だから、夫も環境が変わったばかりで大変だろうと、いつも24時を回って帰ってくる夫を待ち、仕事のグチを聞き、共感し、夫の頑張りを讃えて、夫が気持ちよく「じゃあ寝るわ」と自分の部屋に帰ってから、私も寝るようにしていたのです。
でも、夫は「じゃあ、あなたは大丈夫?」と私のことも、子どものことも、気遣ってくれることは一度もなかったな…そう思ったら、

もう、夫とやっていけないな
そう踏ん切りがつきました。
そして、ある夜、夫に切り出したのです。

離婚しよう。
でも、今いる場所は中国で就職活動できないし、日本にある自宅は人に貸していて、実家は親ときょうだいの家族が同居しててお世話になれないから、日本の自宅の賃貸契約期間が終わるまで、このままでいさせてください。
どうせ、もう夫も私や子どもに、なんの思いもないんだろう…そう思いながら言いました。
すると夫は、

え?寝耳に水なんですけど?
もう、俺のこと嫌いになっちゃったの?
と、きょとんとした顔をして聞いてきたのです。

え…?いや、もう、好きとか好きじゃないとか、そういう次元じゃないんだけど…?
だって…。
と、私も予想外の夫の返しに戸惑いつつ、今まで夫がしてきた仕打ちを順番に述べました。

こんな状態で、もう夫婦って呼べる状態じゃないと思うんだけど…。
と言ったら、

そんなに悩んでたなんて、知らなかった。
だって、長女は家では笑ってたじゃん。
まりちゃんだって、結局、全部、自分でなんとかしてたみたいだし。
と言われてびっくり。
あれだけ悩みを相談してたのに、その多くを覚えてなかったんですね(多分、ちゃんと聞いてなかった)。
それもどうか…と思いましたが、

もう、挽回不可能なの?
どうにか再構築できないの?
と言われ、再構築できる余地があるなら、その努力をせずに終わらせてしまうのはよくないと思い、こう答えました。

いろいろ言ってもわからなくなるかもしれないから、じゃあ、一つだけ約束してほしい。
私が大丈夫そうに生活してても、「大丈夫?」って聞いてほしい。
一日一回、いや、一週間に一回でもいい。1ヶ月に一回でもいいから。
本当に私のこと・子どものことを少しでも考えてくれるなら難しいことじゃない、そう思っていましたが、中国にいた約3年の間、夫から「大丈夫?」そう言われたのは、たった1回さえもなかったのでした。
そして、舞台は日本に戻り、また、「離婚」を切り出す事件を夫が起こしたのです。
【続く】